『2024年を振り返って – 大阪万博バルトパビリオンが開いた新たな扉』
2024年、私の仕事人生において最も大きな転機となった案件が2つありました。その1つが、まさに想像もしていなかった「2025大阪万博のバルトパビリオン入札コンペでの優勝」でした。
バルトパビリオンは、当初バルト三国(リトアニア、ラトビア、エストニア)の共同出展として計画されましたが、エストニアの辞退により二国での出展となりました。このパビリオンの建設およびプロモーションのコンペに向けて、私の国際建築チームOWAのラトビアメンバーであるJanis氏を中心としたプロジェクトチームが結成され、私は日本代表として参画しました。
コンペの総額は200万ユーロ+Tax(21%)、日本円にして約4億円という規模でした。2024年4〜5月頃にJanis氏からコンペへの参加打診があり、そこから2ヶ月弱でプレゼン提出、2週間後に結果発表という短期間での挑戦となりました。私はパビリオンのコンセプト案の策定から、日本でのマーケティング、建設業者の選定、マネジメントまでを担当することになりました。
最も苦心したのは、大阪の建設業者、特に特建を持った建設業者とのコネクションが皆無だったことです。人づてに紹介をいただきながら協力してくれそうな会社を探しましたが、声をかけた大多数の会社から断られ、もし優勝した際の対応に不安を感じていました。
結果発表の日は連絡を心待ちにしていましたが、選考に時間を要するとのことで2週間ほど延びました。そしてついに、Janis氏から「WE ARE WIN👍️」というWhatsAppメッセージを受け取った時は、「優勝」の意味を確認せずにはいられませんでした。
世界中から16組が参加したこのコンペで、2位はスイスの設計事務所、3位はドイツのデザイン会社でした。後になって参加者の顔ぶれを知り、改めて私たちチームの勝利の重みを実感しました。なお、Janis氏から聞いた勝因については、私の考え方を大きく変えるものでもあり、またずっとやり続けてきた確信をもっていたことでもありました。これは別の機会に共有したいと考えています。
コンペ優勝後は、週2回のラトビアチームと日本チームの打ち合わせが続いています。商習慣や建設工事の慣習の違い、複雑なガイドライン、英語によるコミュニケーションの誤解など、様々な課題に直面しています。
しかし、このプロジェクトを通じて貴重な出会いも生まれました。12月9日の万博バルトパビリオン引渡式では、ラトビア共和国経産省事務次官のEdmunds氏やラトビア開発庁日本代表のArta氏といった政府関係者との交流が実現。バルト三国は万博を通じて認知度向上と日本市場への企業進出による経済発展を目指しており、来年2月には渋谷のラトビア大使館での打ち合わせも予定しています。
上:バルトパビリオン前にて記念撮影。完成したら後ろの建物がCGパースのようになるはず。赤いネクタイがラトビア共和国経産省事務次官のEdmunds氏。右端の女性がラトビア共和国開発庁の日本代表のArta氏。お隣の女性がEdmunds氏の秘書の方。私の右隣2名が大阪万博バルトパビリオン担当の有山氏と中村氏。
下:バルトパビリオン外観完成イメージ
下:左端2名が大阪の建設業者のPals Featuring 牧野代表(右)と佐藤さん(左)。
2020年のコロナ禍でOWAを立ち上げた時には、このような展開が待っているとは想像もできませんでした。私の目標は、単なる成長ではなく「メタモルフォーゼ(変態)的進化」を遂げること。つまり、アオムシから蝶へと変容を遂げることです。
私のWHY(存在意義)は「感動させられる人を一人でも多く作ることで、世界を変える」ことにあります。人との出会いこそが、私の人生を変え続けてきた原動力です。一人一人が自分らしさに自信を持ち、その存在が他者に感動を与えられる世界を目指して、2025年からの10年間、さらなる変容への挑戦を続けていきます。
下:ラトビア共和国首都リガにて今回のバルトパビリオンプロジェクトメンバーの一部と会食した時の様子。左奥がJanis氏。私の右がJanis氏の会社のデザイナーのEduards氏。プロジェクトメンバーは合計10名とのことでした。